100形電車



モハ101〜120
1935年モハ101〜107製造(諏訪検車区所属)
1936年モハ108〜114製造(諏訪検車区所属)
1940年モハ115〜120製造(諏訪検車区所属)
1946年モハ106,12,19電装解除クハ2111〜13(諏訪検車区所属)
1962年モハ101,3,11,16,18,20扉増設モハ171〜76(諏訪検車区所属)
1963年モハ114 落雷により全焼、特急用の試作車体で登場 
1965年モハ102,7,10大屋検車区転属 
1997年モハ104,8,9,15大屋検車区転属、モハ105,13,20廃車
1998年モハ114茅野検車区転属 
2000年モハ114更新、380型に編入 電装解除サハ04381(茅野検車区所属)
2001年モハ102,4,7〜10,15廃車 

萩倉以遠、山岳区間の開通後に運用するため製造された。 開通に先立ち一次車の製造によって、諏訪線の開通で運用上の支障をきたす客車列車の置き換えをした。 二次車が延長時準備車である。 1939年はノーシルヘッダの別形式120型が製造されたが、 諏訪線の延長時は、戦時体制への移行に伴い、工程を簡素化した100型の三次車を製造するに至った。 戦時中の一部休止や酷使により戦後3両が制御車化された。 1960年代に入り混雑が激しくなったため一部を3扉化し対応した。 1963年、特急型製造に先立って、1114にて試作を行った。 1965年、大屋検車区に、0型電車置き換えと増発のため一部が転属した。 この時点で、諏訪に8両、大屋に3両の状態でありこれが30年続く。 1997年、諏訪検索の廃止に伴い大屋へ、客車運用廃止のため一部が転属。車体の新しい114を除き、残りは廃車された。 2001年、310型電車の新製投入に伴って廃車された。



クハ2101〜2113
1935年クハ2101〜2104製造(諏訪検車区所属)
1940年クハ2105〜2110製造(諏訪検車区所属)
1946年クハ2111〜2113 モハ106,12,19を電装解除(諏訪検車区所属)
1962年クハ2102,7〜10,13 扉増設クハ2171〜76(諏訪検車区所属)
1965年クハ2103,6,12大屋検車区転属 
1997年クハ2105,11大屋検車区転属、クハ2101,4廃車
2001年クハ2103,5,6,11,12廃車 

萩倉以遠、山岳区間の開通後に運用するため製造された。 開通に先立ち一次車の製造によって、諏訪線の開通で運用上の支障をきたす客車列車の置き換えをした。 1939年はノーシルヘッダの別形式120型が製造されたが、 諏訪線の延長時は、戦時体制への移行に伴い、工程を簡素化した100型の二次車を製造するに至った。 戦時中の一部休止や酷使により戦後3両が制御車化された。 1960年代に入り混雑が激しくなったため一部を3扉化し対応した。 1965年、大屋検車区に、0型電車置き換えと増発のため一部が転属した。 この時点で、諏訪に8両、大屋に3両の状態でありこれが30年続く。 1997年、諏訪検索の廃止に伴い大屋へ、客車運用廃止のため一部が転属。残りは廃車された。 2001年、310型電車の新製投入に伴って廃車された。